水星星座を感じながら働く②
ワタシが一番欲しいもの
「アンタら、いつも〈何が食べたいですか?〉って聞くけど、こんな年寄りになったら、そんなに食べたいモンないねで。それより喋りたいわ」
これは、介護士として働いてると、認知症(まだ初期の症状)の利用者さんが職員(私ね)へ投げかける言葉。初めて聞いたのは10年以上も昔、印象に残る言葉だ。
グループホーム(正式じゃないけど呼び名;グルホ)で勤務して10年以上、認知症の人達をたくさん看てきた。多くは80代90代、圧倒的に女性。
「年寄りやし、沢山は食べられへん」に関して、皆にあてはまらない。
そうなる人もいる一方、満腹がニブくなる、認知症の症状で忘れてしまい「もっと」と、食後にも食べ物を求める人も一定数はいるので、食欲は人による。
認知症じゃなくても、お喋りが好きな女性は多い。
で、認知症になったら会話を忘れるか?
会話はしたいの、わたしは人間やし。
わたしを人として扱ってちょうだい。
そう言いたい高齢者は、実はとても多い。
おそらく、アナタや私が想像するよりも、遥かに多いのだ。
西洋占星術では『言葉』『知性』『学び』『コミュニケーション』を水星が司る。
子供時代から、感情を司る月星座と共に、水星星座は人生の長い年月ずっと使い続ける個人天体。上手く活用できてない、ちゃんと発動してんのかぃ?等と、もどかしい時もあるけど、ワタシという個人に深く根付いている。
何歳になっても「お喋りがしたい」欲求は、持ち続ける。
耳の機能じたい、違ってる
かなりの昔、10代の頃に長期入院した事がある。
田舎の大きめな病院で、6人部屋だった。ある時、もめ事があった。
患者の一人(高齢だった)が、部屋を変えてと訴えた。理由は「他の患者たち(年下)が自分をノケ者にして、会話に入れてくれない」といった内容で。
まだ子供の私は、その訴えが理解できなかった。「のけ者にした」と急に名指しされた人達は、ビックリしていた。「会話に入れない」など意識もしてなかったから。
今の私には判る。
日々の雑談って、主語がないまま進む。波から波へ飛び移るみたいに、話題の中心(主語)も変化していく。雑談はダラダラダラ~っと話が続いていく。それが楽しい。
話す速度。会話がノってくると早口になったりする。
退屈な入院生活の合間に、女性達は他愛なく雑談を楽しんでいたと思う。当時、未成年の私は話に加われなかったが、家庭や子育など、特に深刻な話じゃなかった。
その会話のスピードが、高齢になるほど聞こえ難くなる。
特に難聴じゃなくても、女性の会話;けっこう高めの声質、しかも細い声。会話の内容があちこち飛び、クルクルと変化していく。会話がはずむと更に早口になっていく。
これが80代、早ければ60代70代と高齢になると、音が拾えない。
多くの高齢者は会話についていけない。普通スピードでの会話に参加できない。
低めの声で、ゆっくりと、短く
ただでさえ退屈で苦痛な入院生活。
同室の女性達は楽しそうに雑談。毎日それを見せられ、自分へ話を振ってもくれない。(ついていけない部分は関係なく)会話へ参加させて貰えない口惜しさ。そういった想いがあったと、今なら想像できる。
介護士をするまで、こんなに高齢者との会話が難しいと思わなかった。
「難しい」というより、コツが必要だと知らなかった。
会話した気持ちはある。強く望んでいる。でも、耳が音を拾わないギャップ。
若い側が、それを踏まえて話し掛けると通じる。
だから、介護士として勤務しはじめ、真っ先に『話し方』を変えた。常のスピードより遅く、ゆったりと。そして、カタカナ言葉は避けた。
講習や勉強で習ってはいたが、現実は「もっと」ゆっくり話し掛ける。
相手の『耳の機能』を意識しないと、伝わらないのだ。
職場で、館内を散歩中。併設のデイサービスに来ている人達を見て、「あれは何?」と認知症の人に聞かれた時。デイサービスですと答えて、理解されない。その方が記憶する時代にデイサービスなど無かったから。「集会所です」と伝えたら納得された。
言葉の〈置きかえ〉が上手くいけば、利用者さん達も自分も楽になる。
伝えるべく言葉を選ぶ時に「私の水星を使ってるなぁ」と感じる。
こんな置きかえ、講習などで詳細には習えない。ケースバイケース、状況判断で対応するしかない。自己流だけど、こちらの意志を伝える為に最大限の工夫をする。
そうしないと〈入居者さんの生活〉を守れないから身に付ける。