水星星座を感じながら働く③
生活の場で必要になるのは、
グループホームに入居するのは認知症になった人ばかり。
体は不自由になったが頭の機能は変わりなし、な人は入居できない。
高齢者向け施設には区別がある。その区別について詳しいのはケアマネージャー。
相談を受けたら、その人に適した場所を選び、説明して入所先へとつなぐ。
入居してくる人を、介護士は選ぶ立場にない。
自宅(一人暮らし、家族と同居)から、病院から退院してくる、他の高齢者向け施設から転院としてくる等々。〈前〉どこで暮らしてたか関係なく、入ったからには「うちの住人」となり、その人が暮らし易いように努める。日々の暮らしを守る。
理想を言えば、介護士は黒子(くろこ)で在りたい。
くろこ??
黒子です、ホクロじゃないですょ。く・ろ・こ
歌舞伎とか、古典芸能の舞台に居るんだけど〈居ない〉振舞いをして、演者のサポートをする黒づくめ衣装の人達。観客も〈居ないもの〉〈風景みたいなもの〉と扱う。
アレです、あれが理想。
日々の暮らし、自宅と全く同じとはならない、けど、なるべく安心して暮らせる。
その為にいる介護もできるスタッフ、とでも申しますか。
なんなら喋る家具、動く壁紙みたいな存在で…
「主役は、利用者さん達」って忘れたらダメだと思いつつ働いてる。
けっこう難しいけど…
寝て、起きて、1日を過ごして、寝るまで
高齢者向けの施設って、実は、集団生活の場である。
意外と、この事実を考えてない人が多い。私も介護士になるまで考えが及ばなかった。だから偉そうには言えない、集団生活のはなし。
私の仕事のスタートは、デイサービス職員だった。朝の決まった時間に、利用者さんの御自宅へ迎えに行く。この時の様子が、例えると「保育園へ行くのを渋る子供側と、無理にでも行かせたい親側との攻防」みたいな。ギャオギャオが繰り広げられる。
デイサービスでの時間も、ある種の集団生活。
だから「あんな幼稚園みたいな所に、誰が行くかぁ!!」と親が拒否して困る、という話は意外と当たってる。デイサービスへ登園←この表現が適してるか?イマイチ分らないが、、、行ったら決められた時間割で過ごす。
帰宅するまで、皆と同じ時間割で過ごす施設が多い。「集会所の人らは帰れるんやろ?エエやんか、帰れて」と、グループホーム入居者さんに言われた事もある。
デイサービスも、グループホームも、それぞれ基本的な生活リズムは決まっている。
清潔な体で、清潔な服を着て、食事や飲物をとって、お話をしたり一緒に体を動かしたり、同年代の人達と談笑したり。何よりも安全第一にして転倒しないように。
これらを守る。
お風呂と、寝床と、御飯と。外せないのがトイレ関連。
自分で、自分を守れなくなる時
生活を守ってもらう?
「そんなこと、他人にして貰わんでもええ」と言い切れなくなる日が、訪れる。
遅かれ早かれ、誰にでも、アナタにも私にも、そんな日が来る。
それが「老いる」ということ。
ややっこしいのは『誰にでも同じ年齢で』『誰にでも等しく』じゃない点。
認知症も、皆がかかる病じゃない。90代100歳代でも「しっかりしたまま」の人達がいる。60代70代、残酷だけど40代50代で発症する人がいる。
おまけに、認知症の症状の進みぐあいも一定じゃない。とても個人差がある。
発症した初期の症状も、進行した時に表れる言動も、ものすごく差が大きい。
その人の症状に合わせて、必要であろうサポートも異なる。
出来る部分は自分でして頂く。
出来なくなった部分をサポートする。
それが介護士としての基本の1つ。何もかも手を出してはいけない。
日々、利用者さん達と過ごし、この部分が、とても難しいと感じる。
相手の様子を見ていないと、判断ができない。
徐々に「できない」が増えていく
「誰にでも出来る単純な仕事」
「女がすればいい、楽な仕事」
こういった認識をもつ人が、令和の時代にもいる。時に遭遇する。
実は、利用者さんの中にも、家族さんの中にも、そういった意識の人はいる。
介護の仕事に就いて知ること多々。その最たるのが【判断力】【想像力】【推測力】を、とても必要とする仕事だと、思い知らされること。
上記の「出来る部分は手出しせず/出来なくなってる面をサポート」は、日によって、時によって、出来る/出来ないにムラがあり、判断がつき難い。
じわじわ「出来ない」が増した時にサポートをするが、例えば、トイレでの失敗。
想像して欲しい。もし、排泄を失敗して下着やトイレを汚した場合。
悲しくない?
情けなくて、惨めで、他人に知られたくない。そう感じない?
そこを他人(介護士)に踏み込まれ、受け入れて、助けて貰うことになる。
とても屈辱的なこと。
介護士の仕事の中には、それを『いかに大した事ない』『大丈夫、安心して』って伝えること。それを利用者さんに納得して貰うことも含む。
こういったトイレでの失敗をはじめ、暮らしの中の「しまった」「やらかした」場面で、利用者さん達に惨めな思いをさせない雰囲気で対応、声を掛けるなどは、各スタッフの感性によるもの。
対応のし方に、各職員のコミュニケーション能力や言葉力、知性などが表れるなぁ、と感じることが多い。ざっくばらんに笑い飛ばす職員、寄り添うようにそっと手を貸す職員。ちょっとした世間話で気を逸らしつつ必要なこと終える職員などなど。
こういう対応力は習って身に付くより、その人の性質によることが大きい。
又、利用者さん自身の性格、状況、対応した職員との相性などなど。
その時々で、対応が変わる。